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更新日 2015-08-06 | 作成日 2007-09-15

Stories of The Rain

夢見るころを過ぎても

第二章 いっぱしの不良バンド

written by Akio Hosokai

dummy_046.jpg 細貝の中学時代からの親友に屋代雅邦というマジメな男がいた。屋代はラテンロックに狂っていた。その男が「夏休みに俺の田舎でライブハウスをやらないか?」と持ちかけて来た。大学3年の春だった。The Rainは必要な楽器やアンプを購入して既にライブ活動をやっていたので、それなりに人前での演奏に慣れ始めていた。屋代の誘いに一も二もなく賛成した。「夏休み・海水浴場・ライブハウス」と聞いただけで、もう全身の血液が一箇所に集中するようなエクスタシーを覚えた。

 千葉の外房に鵜原という海水浴場がある。近くには理想郷と呼ばれる断崖絶壁があったが、結論から言うと、そこでのライブハウスの仕事はまさに「桃源郷」だった。警察やヤクザさんの手厚い歓迎を受け、酒は吐くほど飲み続け、女もそんな感じ。何から何までやりたい放題の狂おしくもほろ苦い真夏の桃源郷。いや、ほろ苦いを通り越して、もう苦かったかな? いずれにしても酒とロックと女の日々。「ロックバンドをやっていて良かった」とバンドの誰もがそう思った。ただ若いだけ、ただ一途なだけの本当に貴重な体験。ページ数が許せば、その全てを披露したいくらいに…。

 演奏したコピーはCCR、Beatles、Rolling stones、Black sabbath、Santana、Johnny winter、Jethro Tull、Led Zeppelin、Free、The Who、Booker T & MGユs…バンド結成からたった1年しか経っていない若僧が何を言ってやがる…確かに完璧な演奏が出来たわけではなかったが、ステージを重ねるごとに自分達流に消化した「カラー」のようなものが醸成されていったことは事実だった。この原稿を書いている今も当時のテープや写真が残っているが、とにかく若い。「パワー」という表現以外に彼等を伝える言葉が見つからない。上手い下手ではない、今となっては目頭が熱くなるような、そういう感動を覚えるサウンドであり姿であった。

 東京に戻ってしばらく経ち、某女子大のクリスマスパーティーでの演奏を依頼された。「………」何をかいわんや。全メンバーがほくそ笑んだ。そういうピンクムードの吉祥寺のステージで一人の男がバンドデビューした。日の丸の鉢巻をして鷲の刺繍の皮ジャンを着た名和義文は、ガチガチに緊張してフェンダーを弾いていたが、仲本のレスポールとは一味違った繊細なサウンドが新鮮だった。そのライブでの大きな誤算は、メンバー御用達の彼女たちが同行してしまい、目の前のご馳走に誰も手をつけられなかったことだった。「きっと口の軽い奴がいたんだ!」今でもうらみに思っている。 そんなこんなで大学時代は狂乱ライブを活発にやり続けた。傍目には「ロックをやっている不良!」と映っていたようだが、なんのなんの、我々はそんな風評をものともせず、着実に自分達の好きな道を歩み続けた。不良だったとしたら、ずいぶんと遅咲きだよな。